世界にマリと猫がいる

旅行と歌と車が好きな宗教異文化興味津々のまりおかの生態

ゆとり世代とは結局なんだったのか?

拙者ゆとり世代出身でござる。

 

 

まりおかと申します。

旅行と歌とカメラと車とゲームが好きなインスタ映え重視で生きる量産系ゆとり世代ですこんにちは。

 

初めのテーマがこれってどうなん?どうなん?と思いながらも、ずっと悩んできたこれに、最近ようやく区切りがついたので書きます。はい。

 

 

 

今年24歳になる世代は1994年度生まれ、一説によると最強のゆとり世代と言われたりするんだそうですよ。私です。

 

ゆとり世代出身ですと言えば相手からは何かを察したようなお顔を見せられることが多い世代の様な気がします(主観)。

ゆとり世代の特徴とは!と銘打たれたブログやTVもよくありますねぇ。

ネタになるんですかね。あざます。

 

そもそもゆとり世代とか言われ慣れすぎてもうブームが去った感ありますが、だからこそ!(?)

あの、上からも下からも小突き回される(どういうこっちゃ)ことになってしまった世代はどういう意図で生まれてきてそして消えたのか…

自分の中での今の結論を残しておきたいと思い筆をとった次第です。

 

 

 

主に"ゆとり世代"と言われるのは、ゆとり教育を受けてきた時代。

そのゆとり教育が始まったのは2002年度からです。(世間一般で言うと)

土曜日の授業とかが無くなりました。

1994年度生まれが小学二年生の時ですね。

 

そして2013年度から高校の学習指導要領が改善されることになり、これが俗に脱ゆとり教育と呼ばれています。

この時1994年生まれは高校を卒業する歳なので、ほぼ全ての学校教育をゆとり教育の要領で受けたことになります。

 

これは翌年生まれの世代にも言えるんですけど…

次の年から変わっていくので、小学校初めが授業が多いのと高校最後が授業が多いのとの違いですかね。後は大学入試とかかな。

 

よって我らが1994年度生まれ、2001年度小学校入学組は所謂最強ゆとり世代であると呼ばれることになったのです。

 

それが良いのか悪いのかはちょっと今日は置いておきますね。

 

 

今日は、

11年間のみ生産されたゆとり世代という少数民族って何なのよ?

っていうのを語る生産性のない話です。

 

 

でもこれで納得するとなんか気持ちが落ち着きます。

私は落ち着きました。

職場でゆとり世代っていうことでからかわれたりしてやだなーって思いをしてる方が読むと少しすっきりするかもしれません。五分と五分の確立で。

 

 

さて。

ゆとり世代の特徴って、よく言われるのが

プライベート重視とか、

自主性がないとか、

我慢できないとか、

ストレスに弱いとかetc…

 

さんざん言うやん(笑)

とくに最後のはハムスターかよ(笑)

とまあこちらは慣れっこですよ。

 

だって世間から見てマイナスのように見えるかもしれませんが、私達の主観からすると、それって

 ちっとも悪いことじゃない

 んですもん。

 

 逆になんでそんなことでまるで社会不適合者であるかのように取沙汰されるのか?

そっちの方が不思議だわー。

 

と、ずっと思っていました。

まあ会話のきっかけとしてはアリかもしれないですね。

後は普通にマイナス評価からのスタートなので伸びしろがあるくらいかな。

そのくらいなものです。

 

 

正直言って、相手の世代によってマウントとってくるような人はあんまりいないと思いますけど、運悪くエンカウントしてしまうことってありますよね。

そんな時にはコレを思い出してくださいね。

 

 

ゆとり世代は、権利をその身に叩き込まれた世代である、ということ。

 

 

私達は当たり前のように生活を保証されるし普通に学校に通いますし選ぶ権利もありますし、当たり前みたいに人間関係を築き投げ出し、すごいスピードで組み立てられていく便利な生活の全てを享受しています。

それはもう生まれてきた時から私達世代が受け取れたものです。

 

 

でも少し前はもっと不便だったことを周りの大人達は言ってましたよね。

昔はもっと違ったんだよって。

 

昔は学校に送り迎えなんてしなかったし、怪我をしたって公園から遊具はなくならなかったし、学校に飲み物なんて持って行かなかったし、生活の中流化はあんまり進んでなかった。

働きはじめたらもう一つの会社に居続けるのは当たり前だったし、理不尽にも耐えるのが当たり前だったし、年功序列だし、男女で給料は違うし、

女性は結婚したら退職してたし、結婚しても仕事を続ける女性は家事もやらなきゃいけなかったし、同居も当たり前だし、育休なんてなかったし…

 

 

パッと思いついたのがこのくらいなので、少しおかしいし根拠も薄いかも?

けど、今並べて考えてみるとけっこう理不尽ですよねぇ。

 

 

私達が社会に出ても上の世代の人達は、

上司とか公私混同しまくりだったし、

休憩時間は保証されないし、

有休消化も推奨されないし、

意味わからないルールもあるし、

こんなこと知ってて普通だって顔を皆するし、

到底納得できないハラスメント紛いのことも先輩達は平気な顔で受け流すし!

 

長い物に巻かれろなんて耐えられない!

って言う経験ないでしょうか?

私がいた所がけっこうブラックだったのかな?

 

でも男性上司は結構平気な顔でセクハラをしてくることありますよね。

悪気とか無く。触らなきゃいいって考えは良くないよね。

 

そこで、「ありえない!」とか「セクハラ!」とか声を上げることは昔より容易く出来ても、その後の保証は誰もしてくれない。

誰も守ってくれないから、声を上げられない。

声を上げられないから、無くならない。

 

それが駄目なんてことはみんな知ってる。

でも先輩達は受け流すことが大人になることだって顔をしている。それが正しいのかもしれない。

だけど、そんなことは耐えられない。

こんなことは許されてはいけない。

 

 

社会に出たらそんな葛藤がどこにだって転がっていたはずです。

男子でも女子でも。

セクハラだけじゃなくて、それは仕事ができないのに上司である人に対してだったり、当たりがキツくて教えるのが下手な先輩だったりするかもしれない。

 

ここはドラマの中じゃなくて映画や本の中でもない、ぞっとするほどのリアル。

今まで社会に出たゆとり世代の人達はそんな風に真っ向から吹かれてきたんですよね。

 

 

世論の流れは確かに男女平等を叫んでるし、ブラック企業を批判する動きは盛んに思えるけど、まだまだ人々の意識は変化してません。

習慣は簡単には変えられないから。

正しいことを知っているのに、こうした方がもっと良くなるって知っているのに、若いからって遠慮してしまったり話を聞いてもらえなかったり。

 

 

でもその続いてきた習慣からくる不自由が順に改められてきて、今があります。

まだまだ道半ばですけどね。

 

その不自由や理不尽を、基本的な人権という観点からどんどんフリーに、

一つの並びで一人一人が生きていけるように整える流れが進んでいる。

その流れの中で生まれてきた、代表的なのがゆとり教育なのではないかと。

 

そもそもその前から時代は変化しています。

今の30代前半と後半では、仕事の人間関係や社内環境などの考え方が全く違う傾向があるので、いろいろな方とお話ししてみると興味深いです。

後日また、その話も書こうと思います。

 

 

先人達が疑問に思い、苦しみ、変えてきたものを享受する。

その平等さ、権利を当たり前だと思う。

その道筋を忘れるわけではなく、その平等さを当たり前にしていく。

そして次の世代へ、権利が尊ばれることを当たり前だと伝えていく。

それこそがゆとり世代の意味です。

 

昔の苦しかったこと、理不尽だったことを、繰り返さなくても良いって思える存在であること。

昔とは違う、今が変革の時代であり、その大きな要の世代だということ。

 

 

私達人間が持っている全ての権利を、それは生きる上でという意味ではなく、

"幸せに生きていく"

という権利を求め、守り、伝えていくための世代。

 

まとまること、社会の歯車の一部になることで社会を動かしてきた団塊の世代とは対照的なので、その世代の方からは何かと疑問に思われることが多いような気がします。

でもそれは時代が違うだけ。

 

私達、これから新しく世界を作っていく世代は、

『幸せに、充実して暮らし、世界を豊かにすること』

これが使命なんじゃないかなあ。

 

自分たちが幸せに暮らすこと、そして周りも幸せに暮らしてくれること。

自分勝手ではなくて、皆で幸せになること。

だっていつでも幸せに、満足して暮らしたいよね。

世界中みんなにそんな風に幸せでいて欲しいから。

 

 

そんなことを思いました。